【極悪女王】実話?モデルは誰か解説!本当の話で本当にプロレスしてるの?事実と違う点も紹介

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Netflixドラマ「極悪女王」は、実話をもとにした衝撃作として大きな反響を呼び、配信後2週間連続で日本国内ランキング1位を獲得した話題作です。

1980年代に社会現象を巻き起こした全日本女子プロレスのヒールユニット「極悪同盟」のダンプ松本の半生を描いた本作。

「極悪女王」の物語のどこまでが本当の話なのか、キャストたちは本当にプロレスをしているのか?

さらに実在のモデルなど、視聴者から寄せられる気になる疑問について詳しく解説していきます。

※この記事にはドラマのネタバレを含む可能性があります。未鑑賞の方はご注意ください。

作品名極悪女王
全話数全5話
監督白石和彌
脚本鈴木おさむ
池上純哉
キャストゆりやんレトリィバァ
唐田えりか
剛力彩芽
OPゆりやんレトリィバァ
「Dump the Heel」
EDAwich
「Are you serious?」
目次

【極悪女王】実話で本当の話?あらすじを簡単解説

極悪女王 Netflix
引用元:Netflix公式

【結論】「極悪女王」はダンプ松本さんの実話をもとにしているが、脚色・フィクション部分もある。

2024年9月からNetflixで配信開始された「極悪女王」は、1980年代の女子プロレス界を代表する伝説的レスラー、ダンプ松本の半生を全5話で描いたドラマシリーズです。

鈴木おさむが企画・脚本・プロデュースを手がけ、主演にゆりやんレトリィバァを起用した本作は、実話をもとに創作された物語

主人公の松本香は、幼少期を貧困と父親のDVに苦しむ家庭で育ちます。

偶然立ち寄った女子プロレスの会場でプロレスの魅力に触れた香は、ジャッキー佐藤に憧れ、プロレスラーの夢を抱くようになりました。

一度は、母の勧めでパン屋に就職するものの、その道を諦め、プロレスの世界に飛び込んだ香。

劣悪な家庭環境で育った彼女は、父親への憎しみを原動力に、ヒールレスラーとして頭角を現していきます。

ダンプ松本としての活躍は、女子プロレス界に新たな時代をもたらすことになるのでした。

【極悪女王】実話?登場人物のモデルは誰か解説

「極悪女王」では、ドラマの主人公であるダンプ松本をはじめ、クラッシュ・ギャルズやビューティ・ペアなど、作品に登場するレスラーたちは全て実在の人物がモデルとなっています。

ここでは、ドラマに登場する各キャラクターの実在のモデルと、現在の様子について詳しく紹介していきます。

「極悪女王」での活躍を思い出しながら読んでみてください。

ダンプ松本/松本香(演:ゆりやんレトリィバァ)

ダンプ松本
引用元:Wikipedia

幼少期から、父親のDVや金銭問題に苦しんだ母のために家を建てたいという夢を持ち、ビューティーペアに憧れて女子プロレスの道を選んだダンプ松本。

1980年、本名の松本香で全日本女子プロレスにデビューし、1984年にリングネームをダンプ松本に改名しました。

クレーン・ユウと「極悪同盟」を結成し、後にブル中野も加入。

同期のライオネス飛鳥と長与千種による人気ユニット「クラッシュ・ギャルズ」との抗争で一世を風靡しました。

プロレスと芸能活動で、一時期は年収5000~6000万円を稼ぎ出し、デビュー5年後には母への夢だった一軒家のプレゼントを実現。

リング上では悪役に徹するものの、私生活では涙もろく人情味あふれる性格で知られています。

なお、ライバルのクラッシュ・ギャルズとは同期で、長与千種とはデビュー当時は落ちこぼれコンビ、ライオネス飛鳥とは新人時代からの親友でした。

しかし当時はベビーフェイスとヒールレスラーの交流は表向き禁止されており、お互い心を鬼にして戦っていました。

現役時代から32年にわたりパチンコ依存症に苦しみ、都心の高級マンション購入に相当する額を費やし、月に100万円の負けや、ギャラの前借りをしてまでパチンコに没頭していたことを告白しています。

現在は、女子プロレス界の再興を目指し、多くのファンに楽しんでもらえるよう、レスラーと芸能活動を両立して活躍中です。

長与千種(演:唐田えりか)

長与千種
引用元:Wikipedia

長与千種は、競艇選手として財を成した父がいる裕福な漁師の家に生まれました。

しかし父親の借金により10歳で生活が一変。

一家は離散し、親戚の家を転々とする中で不登校となりますが、空手とソフトボールが心の支えとなりました。

中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。

デビュー当初は、ダンプ松本と共に実力不足で落ちこぼれ扱いを受けていました。

1984年、ライオネス飛鳥とクラッシュ・ギャルズを結成

男子プロレスのエッセンスを取り入れた新しいスタイルで、ビューティーペア以来の大ブームを巻き起こします。

最高時の年俸は3000~4000万円に達し、家族の借金のうち8000万円の返済も果たしています。

1989年に一度引退しましたが、1993年に復帰。

2005年に再び引退するも、2014年からは新団体「Marvelous」を立ち上げ、選手以外の立場で女子プロレス界の発展に貢献し続けています。

2021年にはスターダムの日本武道館大会にも出場しました。

ライオネス飛鳥/北村智子(演:剛力彩芽)

ライオネス飛鳥
引用元:Wikipedia

1980年、全日本女子プロレスに入団したライオネス飛鳥は、優れた運動神経と吸収力で入団テストでトップの成績を収めました。

同年5月にデビューし、1984年には長与千種とクラッシュ・ギャルズを結成

WWWAタッグ王座獲得や歌手デビューなど、一大ブームの立役者となりました。

1989年に一度引退後、タレント活動やカーレース出場など多彩な活動を展開。

1994年に復帰し、甲状腺疾患と闘いながら、WWE(当時WWF)にも出場。

2000年には長与と「クラッシュ2000」として再結成を果たしましたが、首の故障により2005年に引退しました。

その後、銀座で会員制スナック「gangs」を開店

2017年には両膝の人工関節手術を受け、現在はスナック経営の傍ら、プロレス解説者としても活躍しています。

クレーン・ユウ/本庄ゆかり(演:えびちゃん)

1980年に全日本女子プロレスでデビューしたクレーン・ユウは、1984年にダンプ松本とヒール軍団「極悪同盟」を結成

1985年にはWWWAタッグ王座を獲得しましたが、同年ダンプ松本との壮絶な試合を最後に本名の本庄ゆかりとしてレフェリーに転向しました。

1989年に引退後も、2003年の全日本女子プロレス35周年記念大会でダンプ松本とタッグを組むなど、節目となる大会に度々登場。

2015年からは「COMBO」での試合に定期的に参戦しています。

プライベートでは結婚、出産を経て3人の子供を育てる母となりましたが、離婚を経験。

現在は孫もいるおばあちゃんレスラーとして、悪役レスラー時代とは異なる温かな人柄で親しまれています。

ブル中野/中野恵子(演:堀桃子)

ブル中野
引用元:Wikipedia

1983年に全日本女子プロレスでデビューしたブル中野は、当初ベビーフェイスとして活動。

1985年にダンプ松本の誘いで極悪同盟に加入し、ヒールレスラーとして頭角を現しました。

1988年には自身が率いる獄門党を結成し、1990年にはWWWA世界シングル王座を獲得。

金網デスマッチやチェーン・デスマッチなど、革新的な試合スタイルで女子プロレス界に新風を巻き起こしました。

1993年にWWF(現WWE)に進出し、日本人初の女子王座獲得を果たします。

1997年に膝の怪我で引退するまで、ヒールながら実力で女子プロレス界の頂点に君臨。

2024年にはWWE殿堂入りを果たし、日本人女子レスラーとして初の快挙となりました。

引退後はゴルファーを目指すも断念。

2010年に結婚し、バー経営やYouTubeでの活動を展開しています。

影かほる(演:戸部沙也花)

影かほるは、元女子プロレスラーの吉葉礼子を母に持ち、全日本女子プロレス創業者松永高司を伯父に持つ日本初の親子2代レスラーです。

1985年、ダンプ松本の誘いを受け、大阪城ホール大会で「ダンプの影武者」としてデビュー

その後「ダイナマイト・キング」という覆面レスラーとしても活動し、1987年にはダンプとタッグを組むなど活躍。

1988年に引退後は日本初の女性リングアナウンサーとなり、後に芸能マネージャーに転身しました。

現在は後輩レスラーの井上貴子のマネージャーを務める傍ら、2007年から東京・武蔵小山で飲食店「かおちゃん家deめしくぃ亭」を経営し、自ら仕入れや調理を行っています。

大森ゆかり(演:隅田杏花)

1980年、全日本女子プロレスに入門した大森ゆかりは、長与千種やダンプ松本らと同期の「昭和55年組」として知られています。

美貌と実力を兼ね備え、ミミ萩原やジャンボ堀とタッグを組んでWWWA世界タッグ王座を獲得。

得意技「架裟斬りチョップ」で「女力道山」の異名を持ち、1986年にはWWWA世界シングル王者にも輝きました。

1988年、ライオネス飛鳥との試合を最後に引退

その後は芸能活動やプロレス解説を務め、同期のダンプ松本とは「桃色豚隊」を結成し音楽活動も行いました。

結婚後は静岡県三島市に移住し、現在は函南町の食品加工工場で働きながら家計を支えています

ジャンボ堀/堀あゆみ(演:安竜うらら)

1978年、「アイドルに会える」という軽い気持ちで全日本女子プロレスのオーディションを受けたジャンボ堀は、172cmの長身を活かした実力で頭角を現します。

1979年に新人王トーナメントで優勝し、その後WWWA世界タッグ王座やオールパシフィック王座を獲得。

特に大森ゆかりとの「ダイナマイト・ギャルズ」は強豪として知られ、7度の防衛を達成。

1984年には写真集を出版し、1985年に腰痛悪化と結婚を理由に引退しました。

2020年から、放送作家・鈴木おさむがオーナーを務める「メシ酒場 鈴木ちゃん」で勤務していたことが縁で、「極悪女王」の構成などを担当し、全日本女子プロレス時代の事務所やランニングコースなどのロケ取材を行いました。

デビル雅美(演:根矢涼香)

デビル雅美は、1978年に全日本女子プロレスでデビューし、女子プロレス第1次全盛期から一度も引退することなく活動していた唯一のレスラーです。

日本の女子プロレスラーとしての活動歴は31年弱と最長。

168cm、91kgの体格を活かし、「ブラックデビル」や「デビル軍団」のリーダーとして活躍。

歌手活動も行い、その歌唱力は女子レスラー随一と言われました。

1987年に全日本女子プロレスを退団後、フリーランスとして各団体で活躍

特に「スーパーヒールデビル雅美」として、独特のキャラクターを確立し、多くの名勝負を残しました。

2008年の引退まで第一線で活躍し、弟子の育成にも尽力。

引退後は北九州市で漬物店の店長を務めるも、2022年に閉店してしまいました。

ジャッキー佐藤(演:鴨志田媛夢)

ジャッキー佐藤は、1975年に全日本女子プロレスでデビューし、マキ上田とのタッグチーム「ビューティ・ペア」として一世を風靡しました。

WWWA世界タッグ王座やシングル王座を獲得し、ビューティ・ペアは『かけめぐる青春』など数々のヒット曲を生み出します。

1979年、マキとの引退試合に勝利後、1981年に一度引退。

その後、ジャパン女子プロレスで1986年に復帰するも、1988年に完全引退

引退後は体操教室「ジャムナ」を設立し、独自の体操プログラムを指導。

カイロプラクター資格取得を目指すなど、新たな挑戦を続けましたが、1999年8月9日、41歳で胃がんのため亡くなりました

マキ上田(演:芋生悠)

マキ上田は、1975年3月に全日本女子プロレスでデビューし、ジャッキー佐藤とのタッグチーム「ビューティ・ペア」として絶大な人気を博しました。

19歳という若さで女子プロレス界の主要3タイトルをすべて獲得した初の選手となり、歌手活動でも『かけめぐる青春』など数々のヒット曲を生みました。

1979年2月、「敗者引退試合」でジャッキー佐藤と対戦し敗退

その後、女優として特撮番組『バトルフィーバーJ』に出演するなどし、鳥取市内でスナック経営も手がけました。

現在は、48歳で結婚した夫が経営する浅草の釜飯店の女将として活躍しています。

ジャガー横田/横田利美(演:水野絵梨奈)

ジャガー横田
引用元:Wikipedia

ジャガー横田は、1977年に全日本女子プロレスでデビューしました。

160cmという小柄な体格ながら、「女子プロレス界一のストロングスタイル」と評され、WWWA世界シングル王座など数々のタイトルを獲得。

1986年に一度引退しましたが、その後復帰し、「生涯現役」を宣言します。

2004年に医師の木下博勝と結婚し、2006年に40歳を超えての高齢出産で男児を出産。

2023年には尾崎魔弓とのタッグで、最高齢タッグチャンピオンとしてギネス世界記録を樹立しました。

現在は、ワールド女子プロレス・ディアナに所属しながら、バラエティ番組への出演など、タレントとしても精力的に活動しています。

モンスター・リッパー(演:ANNA)

モンスター・リッパーは、1979年に全日本女子プロレスでデビューしたカナダ出身の女子プロレスラーです。

100kgを超える巨体とパワフルなファイトスタイルから「女ハンセン」の異名を取り、デビュー年にWWWA世界シングル王座を獲得。

その後、メキシコ、アメリカ、カナダ、欧州など世界各地で活躍しました。

1995年にWWFで「バーサ・フェイ」として女子王座を獲得。

1999年にはWCWにも参戦しましたが、2000年に引退。

2001年7月27日、わずか40歳で死去しました。

日本の全女が設置した女子プロレス殿堂には、外国人選手として唯一の殿堂入りを果たしています。

松永高司(演:村上淳)

松永高司は、松永家の三男で「女子プロレスの父」として知られる実業家です。

18歳で女子プロレスの世界に入り、1968年に「全日本女子プロレス興業」を創設。

当初は「見世物」扱いだった女子プロレスを、正統なスポーツとして確立させました。

「三禁(禁酒・禁煙・禁男)」「25歳定年制」などの独自のルールを設け、フジテレビでの中継も実現させて女子プロブームを作り出します。

地方興行では自ら選手のために焼きそばを作るなど、選手思いの経営者としても知られました。

2005年に体調不良により全女を解散。

2009年7月11日、間質性肺炎により73歳で死去しました。

長与千種に「もう一度横浜アリーナでやりたい」との遺言を託しています。

松永国松(演:黒田大輔)

松永国松は、全日本女子プロレスの経営者で、松永四兄弟の四男です。

全女では巡業責任者やマッチメイク担当を務め、「ジミー加山」の名でメインレフェリーも担当しました。

特に長与千種の育成に尽力し、「長与千種は松永国松の最高傑作」と言われています。

千種に対しては厳しい指導を行いながらも、時にはお小遣いを渡すなど、父親のような存在でした。

しかし、千種がGAEA JAPANを設立した際には「名プレイヤーは名選手を育てられない」と批判します。

2005年4月の全女解散後、同年8月17日に63歳で自ら命を絶ちました

松永俊国(演:斎藤工)

松永俊国は、1968年に設立された全日本女子プロレスの創設メンバーで、松永家の五男です。

他の兄弟とともに全女を運営し、女子プロレスの発展に寄与しました。

2002年、心不全のため57歳で死去

現在は長男を含めた5兄弟が東京都目黒区にある円融寺に眠っています。

阿部四郎(演:音尾琢真)

阿部四郎
引用元:Wikipedia

阿部四郎は、1970年代から全日本女子プロレスのレフェリーを務め、1980年代に「極悪同盟」に加担する悪役レフェリーとして一躍有名になりました。

極悪同盟贔屓の露骨なジャッジや可変速カウントなど、独特のレフェリングで観客の怒りを買い、プロレス界に大きな話題を提供。

リング上では悪役を演じましたが、実際は選手たちから「優しい人柄」と慕われていました。

2009年に現役を引退し、その後も時折イベントに参加。

2017年4月25日、肺炎により76歳で死去しました。

なお、息子の阿部信輔はZERO1-MAXのメインレフェリーとして、父とは異なる公平なレフェリングで知られています。

【極悪女王】実話・事実と違う部分はあるのか調査

「極悪女王」は、ダンプ松本さんの壮絶な半生を実話をもとに描いたドラマですが、どこまでが事実でどこからがフィクションなのか、気になる人も多いのでは。

ここでは、ドラマで描かれた印象的な7つのエピソードについて、実話・事実とはどう違うのかを詳しく解説します。

※↑リンクをクリックで知りたい項目へ移動します。

①腹違いの妹「香」がいたのは実話

ドラマ「極悪女王」第1話では、少女時代の香(ダンプ松本)が、父親が奪っていった給食費を取り戻しに母親と愛人宅へ向かった際、自分と同じ「香」と名付けられた赤ちゃんがいることを知りショックを受けるエピソードが描かれています。

その直後、女子プロレスに出会い、ジャッキー佐藤が何度打ちのめされても立ち上がる姿を見て、自分も強くなることを決意するという展開につながっていきます。

実際、ダンプ松本に腹違いの妹「香」がいたのは本当の話

母親が当時5〜6歳のダンプ松本と3歳の妹を連れて、父親と愛人が住む川崎のアパートを訪ねたところ、そこで父親と愛人、そして自分と同じ「香」という名前をつけられた赤ちゃんと対面したそうです。

幼かったダンプ松本は当時、状況を理解できず、親戚の家に来たのだと思っていたとのこと。

大人たちが話し合う間、妹と一緒に赤ちゃんをあやして過ごしていたというダンプ松本。

ことの真相を理解したのは高校を卒業してからだそうで、家族で当時の話をすることもあったようです。

しかしこの経験は、後にプロレスラーを目指すきっかけの一つとなり、父親への対抗心が原動力となったと語っています。

②家の壁ではなくガラスが壊れた

ドラマ「極悪女王」では、家族と再び同居するようになった父親が、プロレスラーを目指す香に反対し、母と娘に暴力を振るうシーンが描かれています。

父親の暴力に怒った香が父親を突き飛ばすと、家の壁が崩れ、父親はトラックの荷台へ転落するという劇的な展開に。

しかし実際には、家の壁が壊れたということはなく、泥酔した父親が母親に暴力を振るおうとし、窓ガラスを叩き割り、腕に破片が刺さって血だらけになったということがあったようです。

この時、救急車を呼ぶ、呼ばないとなりましたが、ダンプ松本は「呼ばなければこのまま死ぬだろうから、いいんじゃないか」と心底思ったのだそう。

結局、近所の方が119番通報をしたため、父親は助かります。

しかしダンプ松本は、次第に父親と会話することがなくなり、高校生くらいのときから約45年もの間、1回も会話をすることがなかったそうです。

③父親が心臓が悪いのは嘘の可能性

ドラマ「極悪女王」の後半で、ダンプ松本の父親は心臓の持病があり、いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくないと医師に告げられます。

父親が危篤になり病院に駆けつけたダンプ松本でしたが、手術は成功。

「死なねえのかよ!」と思わず突っ込む彼女に、母親が「首にチェーン巻いてきて!」と冗談を言い返すという、ちょっとほっこりした場面として描かれています。

実際の父親は「心臓が悪いから40歳くらいで死ぬ」という医師か誰かの診断があったと主張し、それを理由に働かない生活を続けていました。

家には大型の治療用機械まで持ち込んで治療しているふりをしていたそうです。

しかしダンプ松本は「今思えば全部嘘だったと思う」と振り返っています。

40歳までなら我慢できると思っていた父親との関係でしたが、実際には父親は87歳まで生き、最期は肺炎が原因で亡くなりました。

④パン屋ではなく本屋でバイトをしていた

ドラマ「極悪女王」では、ダンプ松本は高校卒業後に母親の紹介でパン屋に就職することになります。

しかしどうしてもプロレスラーになることを諦めきれなかったため、パン屋をやめて全日本女子プロレスのオーディションを受けに行くことに。

実際、ダンプ松本は高校卒業後、川口のパン屋に就職が決まっていたそうです。

しかし入社式の前日に女子プロレスのオーディションに受かってしまったので、結局パン屋の就職を蹴ってしまったとのこと。

オーディションには合格したものの、その後のプロテストには落ちてしまったダンプ松本。

女子プロレスの練習生をやっていましたがお金がないので、練習場に近い目黒の本屋さんでレジを打ったり、他にも目黒駅の近くでさまざまなバイトをしていたようです。

一時期は”目黒のバイト荒らし”などと言われていたこともあるそうです。

⑤ジャッキー佐藤ではなくマッハ文朱のファンだった

ドラマ「極悪女王」で、女子プロレスの練習風景を見た少女時代のダンプ松本は、折れない精神で立ち上がり続けるジャッキー佐藤の姿を見て、憧れを抱くようになります。

実際に女子プロレスのファンだった頃のダンプ松本は、ビューティ・ペアのジャッキー佐藤の追っかけをするほど熱狂的に崇拝していました。

しかしそれ以前は、マッハ文朱の熱烈なファンでもありました。

ダンプ松本は中学2年生のとき、テレビの女子プロレス中継で当時人気絶頂だったマッハ文朱が試合に負けた後、リングで泣きながら『花を咲かそう』を歌っている姿に衝撃を受けたそうです。

当時マッハ文朱は、史上最年少16歳で全日本女子プロレスの最高峰WWWA世界シングル王者でした。

ダンプ松本は、その頃から女子プロレスに夢中になって熊谷で試合のある時は会場に見に行き、テレビ中継も夢中で見ていたそうです。

⑥長与千種はリング下ではなく合宿所にいた

ドラマ「極悪女王」では、唐田えりか演じる長与千種が、極貧生活のためプロレスの練習場のリングの下で寝泊まりする姿が描かれています。

長与千種が小学5年生のときに、父親が借金を背負い一家離散し、親戚中をたらい回しにされたのは本当の話。

しかし中学卒業後に全日本女子プロレスに入門した長与千種は、実際はリングの下ではなく、全日本女子プロレスの練習場と事務所が入るビルの屋上にある合宿所で生活していたそうです。

とはいえ、その合宿所の環境は決して良いものではなく、風が吹けば飛びそうなトタン屋根のバラック建ての寮を見た時、長与は言葉を失ったとか。

当時の寮はお米とトイレットペーパーだけは支給されて、あとは自腹だったようで、1ヶ月1万円生活をしていました。

八百屋で野菜の切れ端を10円でもらい、マヨネーズとタバスコでご飯を食べていたそうです。

お肉は買えず、月に一度ケンタッキーフライドチキンを1個か2個買ってきて、ご飯に混ぜて食べるのが唯一の贅沢だったと語っています。

⑦ジャガー横田VSジャッキー佐藤の試合シーンに隠された嘘

ドラマ「極悪女王」では、人気にかげりが見え始めたジャッキー佐藤と横田利美(後のジャガー横田)とのWWWA世界シングル王座戦が描かれています。

ドラマでは試合前、横田が社長や専務から「ブック」という試合の勝敗に関する指示を受けるシーンがありますが、これはフィクションだったようです。

ジャガー横田本人が後のインタビューで、そのような指示はなかったと証言しています。

さらに「ブック」という言葉自体、実際の女子プロレス界では使用されていなかったとのこと。

しかし実際の試合結果についてはドラマと同じで、横田がジャッキー佐藤を押さえ込んでのフォール勝ち。

この敗戦がきっかけとなり、ジャッキー佐藤は3ヶ月後、23歳という若さで引退することになります。

また、「ジャガー横田」というリングネームの由来についても、事実はドラマとは異なります

ドラマでは、ジャッキー佐藤との試合後に専務から「全女のスター選手はみんなカタカナの名前」という理由で命名されたことになっています。

しかし実際は、この試合以降、当時所属していた正規軍「ダイナミックジャガーズ」のエースとなったことから、チーム名を取って「ジャガー横田」と名付けられたそうです。

【極悪女王】本当にプロレスしてる?プロレスシーンは実話?

【結論】「極悪女王」のプロレスシーンは、ほぼ99.9%キャストが演じている

プロレスシーンはほぼ実話!長与千種のお墨付き

「極悪女王」の制作にあたり長与千種は女優たちの肉体改造を指導し、プロレスシーンの構成も担うプロレススーパーバイザーとして本作に参加しています。

プロレスシーンについては、長与本人が「昔の自分たちを見ているよう」と唸るほどの再現度の高さ。

プロレスラーを演じる女優たちは、約2年間の練習期間を経て、役者ではなくプロレスラーとしてリングに上がっているように見えたと絶賛しています。

ゆりやんレトリィバァ,剛力彩芽,唐田えりかも実際に体づくり

「極悪女王」で主役のダンプ松本を演じたゆりやんレトリィバァは、撮影前に45キロのダイエットに成功した後だったにもかかわらず、撮影のために再度40キロの増量をして体づくりをしました。

ライオネス飛鳥を演じた剛力彩芽と長与千種を演じた唐田えりかも、なかなか太れずに体づくりには苦労したようです。

健康に気をつけながら筋肉と脂肪を増やし、最終的には二人とも体重を10キロ増量。

出演者たちは過酷な撮影のため、意識して食事を取らないとあっという間に体重が落ちてしまうこともあったそうです。

一部”ボディダブル”が演じている部分もある

ドラマ内のプロレスシーンは、基本的に出演者本人たちが演じています。

女優たちは本格的な練習を重ね、リアルなプロレスシーンを再現しました。

ただし、安全面を考慮して、特に危険度の高いシーンについては、スタント役としてボディダブルを起用しています。

例えば、ライオネス飛鳥役の剛力彩芽のボディダブルとして、現役女子プロレスラーの門倉凛さんが参加していたことが明らかになっています。

唐田えりかの丸坊主は実話

「極悪女王」最大のクライマックスといえば、やはりダンプ松本と長与千種の髪切りデスマッチです。

このシーンを演じるにあたり、長与千種役の唐田えりかは実際に髪を切って丸坊主にしています。

丸坊主になることはオーディションのときから必須条件であったようですが、このドラマに再起をかけていた唐田えりかは全く意に介さなかったとのこと。

彼女の役への、のめり込み方はどの役者よりも激しく、髪切りマッチの撮影後は悔しさのあまり、家に帰ってもずっと泣いていたそうです。

長与千種は唐田えりかの演技について「途中からは自分にしか見えなかった」と大絶賛。

丸刈りになり血まみれになって戦う唐田の熱演は、長与千種の長年のファンからも高い評価を受けています。

【極悪女王】ダンプ松本の実話をもとにした闘う少女たちの物語

  • 登場人物は実在する人間がモデル
  • 物語は実話をもとにフィクションを盛り込んでいる
  • プロレスシーンは99.9%キャスト本人が演じている

「極悪女王」は、ダンプ松本の半生を実話をもとに描いた闘う少女たちの物語です。

登場人物は実在する人間がモデルで、描かれるエピソードも実話をもとに一部フィクションが盛り込まれドラマティックに仕上がっています。

思わず目を背けたくなるようなリアルなプロレスシーンは、99.9%キャストが演じており、その役者魂に心が震えること間違いなし。

「極悪女王」はNetflixで配信中

昭和の女子プロレス黄金期を知る方々はもちろん、プロレスを見たことがない人にもおすすめできる名作です。

この作品で描かれる、夢に向かって突き進む少女たちの熱い思いを、ぜひ体感してみてくださいね。

>「極悪女王」をNetflixで見る

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アニコミACE編集部です。アニメや漫画の考察や新たな発見を記事にしています。無料・お得に読める電子書籍サイトも案内中!アニメ・漫画好きのメンバーでワイワイ熱心に活動中です。

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