世界的な評価がどんどん高まっている濱口竜介監督の最新作「悪は存在しない」。
既に、衝撃的なラストについての考察が飛び交っていますが、こちらではあらすじを整理した上で、ラストの意味やタイトルの意味について考察しています。
作品への解釈を深めたい人は、ぜひご覧ください!
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この記事には映画の結末や重要なネタバレを含む可能性があります。未鑑賞の方はご注意ください。
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公開日 | 2024年4月26日 |
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監督 | 濱口竜介 |
原作 | なし |
脚本 | 濱口竜介 |
キャスト | 大美賀均 西川玲 小坂竜士 渋谷采郁 |
音楽 | 石橋英子 |
上映時間 | 106分 |
配給 | Incline |
公式サイト | 「悪は存在しない」公式サイト |
上映劇場 | 「悪は存在しない」上映劇場 |
【悪は存在しない】のあらすじ(ネタバレあり)
「悪は存在しない」のあらすじを起承転結に分けて、紹介しています。
ラストの衝撃を解釈するために、あらすじを改めて理解しておくことは大事かもしれません。
起:自然豊かな水挽町の暮らし
長野県水挽町という自然が溢れる人口6,000人の町で、巧と娘の花は、慎ましく暮らしていました。
巧は、薪を自分で割り、地元のうどん屋が使う水を川からとってくるなど、町の便利屋として働いています。
しかし、忘れっぽいところがある巧は、花を預けている学童の迎えの時間が過ぎていることに気づき、慌てて迎えに行くのでした。
迎えを忘れていることを悟って先に帰ったと学童の先生から知らされた巧は、森の中を捜索します。
花が1人で歩いているところを見つけておんぶした巧は、周りに生えている植物の名前と特徴をひとつずつ教えてあげます。
森の自然は美しいですが、触ると怪我をしてしまう危険なものもあり、巧は、迂闊に触らないように忠告するのでした。
承:杜撰なグランピング場建設計画
自然溢れる水挽町に、芸能事務所がグランピング場を建設するという計画が立ち上がっていることを、区長の駿河は住民を集めて説明します。
コロナの補助金目当ての計画と悟った住民は、計画に懐疑的です。
一方駿河は、「無用な喧嘩は避けてまずは話を聞こう」と穏やかに住民を諭すのでした。
迎えた説明会の当日、東京の芸能事務所・プレイモードから、高橋と黛が町を訪れて、グランピング場のプレゼンを展開します。
しかし、杜撰な計画に、住民からは避難を浴びてしまい、高橋は狼狽えます。
巧は、計画の発端である、コンサルティング会社とプレイモードの社長を呼んで、もう一回説明会をやろうと提案しました。
無理な計画に懐疑的だった黛は、住民の真摯な意見に心を打たれて、時間が許す限り話を聞くと気持ちを改めるのでした。
転:心機一転、巧にアドバイザーの打診へ
東京の事務所に戻った高橋と黛は、そもそも計画に無理があることを、社長とコンサルティング会社のスタッフに伝えます。
しかし、土地も購入して後戻りが出来ない状況のため、部分的に要望を受け入れてなんとかやりくりするしかないと丸めこまれ、再び水挽町に向かいます。
半ば、やけくそになった高橋は、マッチングアプリで知り合った女性と水挽町に移住して、グランピング場の管理人になろうという淡い願望を抱くようになります。
高橋と黛が到着しても薪割りを淡々と続ける巧でしたが、しばらく経つと高橋と黛を食事に誘います。
巧の姿を見て思い立ったのか、高橋は巧に薪割りをさせて欲しいと懇願します。
最初は上手く割れませんでしたが、巧の指導により綺麗に薪を割れて、尋常じゃない快感を得るのでした。
うどん屋で食事をしながら、巧にグランピング場の管理人になってくれないか打診しますが、即答で断られてしまいます。
黛は妥協案として、アドバイザーという形で関わってくれることは可能かと提案しました。
すると、高橋が話に割り込み、さっきの薪割りがとても快感に感じたこと、自分が管理人になる意思もあることを伝えた上で、自分のアドバイザーになって欲しいと頭を下げます。
どっちともとれない回答をする巧は、うどん屋で使用する水汲みに二人を誘います。
結:花が行方不明に、まさかの結末
3人で川の水を汲んでいると、巧がまた花の迎えを忘れていることに気づきます。
学童に向かう車の中で、グランピング場の予定地に生息する鹿が、人間を襲う可能性はあるのかと、黛は巧に質問します。
鹿が人を襲うことはないが、手負いの鹿か親鹿は人を襲う可能性があると、答えます。
学童に到着すると、やはり花は先に帰ってしまっていました。
なかなか見つからない花のために、住民が総出で花の捜索を始めます。
巧と高橋が森の奥をぬけていくと、手負いの鹿と相対する花を見つけるのでした。
花は、鹿に向かって歩み寄り帽子を脱ぎます。
高橋は事態を異常に感じて、巧の制止を振り払い駆け寄ろうとしますが、巧から唐突に羽交い締めされてしまいました。
意識を失った高橋を尻目に、巧はいつの間にか地面に倒れている花のもとへ駆け寄ります。
花を抱き抱えた巧は、息を切らしながらひたすら森の中を駆け抜けていくのでした。
【悪は存在しない】キャストで重要な鍵を握るのは…?
「悪は存在しない」は、著名な俳優が一切出ていないという大胆なキャスティングも注目を集めています。
異色な経歴と役柄についての見どころを紹介しました。
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①巧/大美賀均
「悪は存在しない」の主演を務めるのは、大美賀均(おおみかひとし)さんです。
聞いたことがない名前だと感じた方が、多いのではないでしょうか。
それもそのはずで、大美賀均さんは普段は映画の制作スタッフを務めている裏方で、本業の俳優ではないのです。
ちなみに、2023年12月には「義父養父」で映画監督デビューを果たしました。
濱口竜介監督とともに、本作の舞台である長野県を視察している際に、テストで薪割りをしている姿や無言でいるときの表情にピンときて、まさかの大抜擢となりました。
さて、大美賀均さんが演じる巧の役柄は、娘を一人で育てる町の便利屋というものです。
寡黙に薪割りや水汲みを行う姿や、自然を熟知している知識量に住民は一目置いていて、区長の駿河も「巧に聞けばなんでも教えてくれる」と評しています。
町の自然を熟知しているところや、グランピング場建設の説明会でフラットな意見を示すところに、物語のすべてを掌握しているような得体の知れない雰囲気が窺えます。
しかし、娘の花の迎えを頻繁に忘れるなど、意外と抜けている一面もあり、掴みどころがない人物像です。
何を考えているか、分からないミステリアスな存在です。
②高橋/小坂竜士
東京から、グランピング場建設の説明に水挽町にやってくる高橋を演じるのは、小坂竜士さんです。
小坂竜士さんも本業は映画の制作スタッフで、濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」では車両部として参加し、俳優経験もあるそうです。
小坂竜士さんが、濱口監督に「(劇中で扱われている演劇作家の)ぼく、チェーホフ好きなんですよ」と発したことが、キャスティングのきっかけになったそうです。
俳優に再挑戦したいと考えていた小坂竜士さんにとって、またとないチャンスだと感じたと言います。
何気ない発言がとんでもないチャンスに繋がりました!
そんな小坂竜士さんが演じる高橋の役柄は、コロナの補助金目当てで始めたグランピング場建設の計画で、板挟みになる芸能事務所のスタッフというものです。
説明会での住民への不遜な態度で反論を浴びますが、東京に戻ると無茶苦茶な計画に巻き込まれている、一人のサラリーマンとわかり、哀愁が漂います。
苛立ちに身を任せて大きな声を出したり、薪割りによって田舎の暮らしに感化されたりと、単純な性格であることが読み取れます。
どうかと思うほどの素直さも憎めないところです。
高橋の軽はずみな発言に対して、巧が何を感じているのかが物語を読み解く鍵になります。
③花/西川玲
巧の娘である花を演じるのは、「悪は存在しない」が映画デビューになる子役の西川玲さんです。
ヴェネチア国際映画祭の会見に出席した際の天真爛漫な振る舞いが、現地の雰囲気を和やかなものにしていました。
西川玲さんは、オーディションによって花役に抜擢されました。
物思いに耽るような表情が、花に合っているのではないかと濱口監督は感じたそうです。
最初に解禁された花のビジュアルは大きなインパクトを与えました!
謎が多い、「悪は存在しない」の中でも、花はひときわ神秘性が高いキャラクターです。
まず、同世代の子供たちと話しているシーンが一切ありません。
迎えを忘れている巧を待たずに先に帰宅しようとしたり、ふらっと森の中を散策し始めたりと、ここではないどこかを求めているようにも見えてきます。
巧と同じように、自分の感情を露わにするシーンがほとんどないので、小柄な体格の割りに大人びた顔つきも含めて神秘性が高い人物像に仕上がっています。
物語に不在の母親がなにか影響しているのかもしれません…。
【悪は存在しない】ラスト・結末の意味の考察(ネタバレあり)
「悪は存在しない」で、最も話題に挙がるのがラストの展開です。
独自解釈を、自分の言葉で紹介しています。
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①巧はなぜ高橋を襲った?
巧は、なぜ唐突に高橋を襲ったのかという点には、ほとんどの観客が疑問を抱くと思います。
個人的な見解としては、「巧以外には誰にもわからない」です(笑)
あまりにも唐突すぎるので…
ただ、濱口監督は、巧なりの行動原理があるとインタビューで発言しており、ただ観客を驚かせるために作った展開ではなさそうです。
巧は中盤の説明会で、「問題はバランスだ」と発言しています。
映画の主人公が発しているセリフと考えると、そのままテーマを表していると思います。
つまり、なんらかのバランスの崩壊を感じて、高橋を襲うという行動に至ったと考えられます。
個人的には、説明会で住民の一人が「20年に1度起きていた山火事の頻度が、グランピング場によって短くなるかもしれない」と言っていたことに引っ掛かります。
巧の妻であり、花の母なる存在は劇中に写真だけで登場しており、恐らく死亡しているものと思われます。
そして、区長の駿河の息子も既に亡くなっていることが仄めかされていました。
「山火事」というセリフをわざわざ出すことが、二人の死に何か関わりがあるのかもしれないと、個人的には感じました。
さすがに、二人とも20年に一度の山火事で亡くなったことは考えづらいですが、中盤に示される真っ暗闇の森は、一歩間違えるととても恐ろしい空間です。
何かしらの自然の厄災に巻き込まれて、二人は亡くなった可能性があると思いました。
人を襲うかもしれない手負いの鹿と対峙する花を見て、高橋は巧の制止を無視して、駆け寄ろうとします。
高橋の行いが、巧にとっては「20年に一度の山火事の頻度を短くする」に筆頭する、自然のバランスを崩す行為に映ったのかもしれません。
確かに、高橋が花を守るために鹿を襲うと、さらに二次被害が及びそうです。
これ以上のバランスの崩壊を止めるために、巧は高橋を襲ったのだと思います。
ただ、巧の行いによって誰も救われていないところが、難しいですね。
②花は巧が見た幻影だった?
ラストシーンで不可解なところは、花が鹿から襲われているシーンが、直接描かれていないところです。
高橋を襲ったあとに、花は既に意識を失い鼻血を出していました。
直前まで、花を捜索していたシーンでは、夜も深くほとんど真っ暗に近い状態になっていましたが、ラストシーンでは空が少し明るくなっています。
単純に、住民が総出で捜索しているシーンと時系列が違うとも考えられますが、どこか幻想的なシーンにも感じられます。
映画表現として少し飛躍しているので、誰かが何かの幻想を見ているという解釈もできるかもしれません。
映像としては、示されている花と鹿の対峙も、巧が見ている幻想の可能性もあります。
鹿の顔が正面からアップで映されますが、確かにどこか作り物っぽさも感じます。
実際に巧が見たものは、雪の中で意識を失っている花で、混乱した巧が、心のバランスを崩して高橋を襲ってしまったのかもしれません。
いずれにしても謎が多いシーンです。
③「悪は存在しない」の”悪”は何だった?
濱口監督は、音楽家の石橋英子さんから企画を持ち込まれた際に、石橋英子さんの自宅がある長野県に行き、石橋さんの自宅周辺に広がる自然を目の当たりにしたそうです。
濱口監督は自然をじっくり観察して、「自然の災害が人間に被害を及ぼすことはあってもそこに悪意はない」と感じたといいます。
自然を見て感じた直感を、仮タイトルとして「悪は存在しない」と名付けたそうです。
監督の言葉を参考に考えるのであれば、「悪は存在しない」の「悪」は、人間のことにしろ、自然のことにしろ「悪意」のことを指しているのではないかと思います。
杜撰な計画を地元民に展開する高橋と黛も、住民からは「悪」のような存在に感じても、当人には「悪意」がないことがわかります。
逆に、高橋と黛にとって、事務所の社長とコンサル業者は「悪」に感じるかもしれませんが、計画に至るまでのやむを得ない事情があるのも、また事実です。
ただ濱口監督は、「誰にでも事情はあるから仕方ないよね、という意味ではない」とインタビューで発しています。
「悪は存在しない」というタイトルを付けることで、内容とタイトルの関係性を観客が想像してくれるだろうと考えたといいます。
ものの見事に監督の術中にはまっています(笑)。
「悪は存在する」という意識が、人間の間で共有されているからこそ、「悪は存在しない」というタイトルが成り立つのだと思います。
だとしたら、劇中で存在する「悪」は、人間に実害をもたらしている巧だと、個人的には考えました。
言うまでもなく人間の倫理観では、人を正当な理由なく傷つけることは、悪いことだからです。
巧にとって正当な理由があったにせよ、攻撃された高橋は知る由もありません。
しかし、観客に明確な「悪」の存在を認識させてから、エンドロール後に「悪は存在しない」というタイトルが画面に映し出される構成は見事だと感じました。
構成によって、観客は鑑賞後も「悪」の所在についてぐるぐる考えさせられてしまいます。
いろいろ書いておきながら、自分でも明確にはわかりません!
【悪は存在しない】印象に残ったシーン・場面4選(ネタバレあり)
「悪は存在しない」は、映像表現、ストーリーなど、映画としてとてもレベルが高いです。
中でも印象に残ったシーンを紹介しました。
①巧の不穏なルーティンライフ
物語は、巧の淡々とした生活風景から始まります。
一寸の狂いもなく、薪を割っていく巧の姿に、自然を熟知している様子が感じられました。
しかし、スムーズな薪割りに見惚れていると、暴力的なチェーンソーの音が鳴り響くという編集がされています。
全く表情を変えることのない男が、淡々とチェーンソーを扱う姿は恐ろしくも感じてしまいます。
「悪は存在しない」で観客を惹きつける、どことなく不穏な様子は、巧の振る舞いによるものが大きいと思いました。
このチェーンソー使いが、ラストの行動の布石になっているようにも見えます。
②理路整然と叩きのめされる説明会
水挽町にグランピング場を建設するという計画の説明会が開催されますが、東京から来た高橋と黛は、住民から冷静に反論されてしまいます。
都会と田舎という対立は、映画でも数多く描かれてきましたが、水挽町の住民はとても論理的に持論を展開していきます。
質疑応答にて、意見を述べる住民が冷静に持論を展開するため、高橋と黛が所属する会社の計画性のなさが余計に露呈してしまいます。
あからさまに不貞腐れる高橋が面白いです(笑)
田舎で開催される住民への説明会というシチュエーションは、どちらかというと地元住民が熱くなって感情的に反論するシーンが多い印象だったため、水挽町の住民の振る舞いは意外に感じました。
そして、説明会のシーンでは後の展開に関わる、「問題はバランス」、「水は上から下に流れる」というセリフが出てきます。
緊迫した空気が流れながらも、コミカルであり、展開に重要な要素を盛り込むという、とても高度な作劇がされているシーンだと思いました。
③濱口竜介の真骨頂、車内トーク
濱口監督といえば、「ドライブ・マイ・カー」でも高く評価された通り、車内の親密な会話劇です。
実は、事務所の社長とコンサル業者の無茶な計画の板挟みになっていると明らかになった、高橋と黛の車中の会話シーンがとても面白く感じました。
高橋はやけくそになり、大きな声を出して黛を怖がらせるという最悪な空気になりますが、意外な偶然により空気が一変します。
高橋がマップで使っているスマホに、マッチングアプリでカップルが成立したという通知が届くのでした。
思わず、笑いをこらえる二人は、肩の力が抜けたようにお互いの身の上話に発展します。
偶然により、物語が意外な展開へ進んでいくという手法は濱口監督の得意技ですが、「悪は存在しない」でも見事に表現されていました。
アプリで知り合った人と結婚して、田舎に引っ込むという高橋の安直な思い付きに笑ってしまいます。
④高橋、奇跡の薪割り
水挽町に移住してグランピング場の管理人になろうと密かに目論む高橋は、巧に薪割りをさせて欲しいとお願いします。
意外にもすんなり要望を受け入れた巧は、高橋に薪割り用の手袋を渡します。
やはり薪割りに苦戦する高橋でしたが、巧のアドバイスを忠実に実行すると、見事に薪を割ることに成功しました。
黛が、「おー」って驚いているところに笑ってしまいました。
思わず「気持ちいい!」と声を上げる高橋は、後に「この10年で一番気持ちよかった」と心中を明らかにします。
映画として素晴らしいのは、高橋が薪割りに苦戦してから成功するまでをひとつのカットに収めているというところです。
ちなみに、高橋を演じた小坂竜士さんは、薪割りには自信があり、むしろ失敗する演技の方が不安に感じていたと言います。
観客としては、なんの疑いもなく高橋が巧に指導された結果、上手に薪を割れたように見えるので、驚くべき演出力です。
【悪は存在しない】を実際に鑑賞した感想と評価(ネタバレあり)
「悪は存在しない」の魅力を、4つの項目に分けて解説しました。
こちらを参考に、鑑賞の基準にしていただけると嬉しいです!
ストーリー展開
エンディングがあまりに唐突なため、難解な作品という評判が広がっていますが、基本的には難しいことは起こらないストーリーだと思います。
中盤まで展開される、水挽町の人々とグランピング場を建設する東京の芸能事務所の対立という構図は、現代的でわかりやすいものになっていました。
しかし、単に「田舎VS都会」という構図に陥らないのが、「悪は存在しない」の面白いところです。
終盤に、高橋と黛の視点に切り替わって以降は、二人も無茶苦茶な計画に振り回されている立場という、感情移入しやすい存在になっていきます。
全編に渡って不穏な雰囲気が漂いますが、意外と笑えるシーンが多いのも「悪は存在しない」の特徴です。
説明会で正論を言われて不貞腐れたり、マイペースな巧に振り回されたりする高橋が、滑稽に映って面白いです。
会話を聞いているだけで面白いのは、さすが濱口監督!
結末
「悪は存在しない」のラストは、巧が唐突に高橋の首を絞めて、意識を失った花を抱きかかえて森の中を駆け抜けていくという衝撃的なものでした。
初めて鑑賞したときには、この結末にはとても驚かされました。
グランピング場建設についても、比較的中立的な意見を示していた巧の行動だけに、余計に衝撃を感じました。
個人的には、結末に一般的な理屈を超えた飛躍をするという展開が好きなので、「悪は存在しない」の結末を素晴らしく思っています。
ただ、意味がわかったかというと正直わかりません(笑)
ただ、意味がわかることが、そのまま映画の面白さに繋がるわけではないと思います。
意味もわからず、放り投げられたような感覚で劇場を後にしていくのは、映画でしか味わえない感覚です。
まずは、結末の意味を考えずに、衝撃の余韻に浸る方が、「悪は存在しない」の面白さを素直に感じやすいのかもしれません。
評価相応か
ヴェネチア国際映画祭で審査員大賞を受賞するなど、「悪は存在しない」は世界中で高く評価されています。
カンヌ、ヴェネチア、ベルリンが世界三大映画祭と呼ばれていますが、濱口監督は40代半ばにして、すべてで主要賞を獲得するという大快挙を成し遂げました。
濱口監督は、世界的な評価の高まりに驚きつつも、冷静に分析しています。
ご自身が映画祭の審査員を務めた経験から、世界の映画人は新しいものを求めつつ、映画史の繋がりを感じられるものを求めているそうです。
濱口監督は、古典映画をたくさん鑑賞してきたことを、自身の強みだと分析しています。
しかし、「悪は存在しない」は、古典映画からの影響を感じつつも、固くなりすぎることなく、エンターテイメントとしても成立していると思います。
濱口監督も、自分が鑑賞して育ってきた古典映画を、新しい映画ファンが触れるきっかけになって欲しいと思っているそうです。
会話劇が濱口監督の得意分野でしたが、「悪は存在しない」は映像表現にも磨きがかかり、どの国の人が観ても面白いと感じる傑作に仕上がっていると思いました。
まさしく濱口監督の時代が到来しようとしています!
再鑑賞
「悪は存在しない」は、濱口監督ご自身が編集作業を務めて、素材を100回以上見返したそうですが、不思議と全く飽きるところがなかったそうです。
個人的にも、「悪は存在しない」は何度鑑賞しても飽きない作品だと思います。
4回鑑賞したけど、まだ観たいです!
180分以上の長尺な作品が多い、濱口監督の映画の中では、「悪は存在しない」は、106分と比較的短いのもあるかもしれません。
今回は、音楽家の石橋英子さんによる企画ということで、音楽が前面的に打ち出されているため、鑑賞していて心地よさを感じるのも何度鑑賞しても飽きない理由だと思います。
そして、ラストの衝撃に対する解釈を深めるためにも、再鑑賞することを個人的にはオススメしたいです。
2回目以降の鑑賞では、ラストの出来事に向けて必然的に物語が進行していると感じるはずです。
【悪は存在しない】あらすじ/キャストまとめ:人間と自然の曖昧な境界線
こちらでは、「悪は存在しない」のあらすじと考察をまとめました。
世界中で評価されるのも納得の素晴らしい映画だと思います。
公開当初は、ミニシアター中心の上映でしたが、6月以降は拡大上映が決まっているので、この機会にぜひ劇場で鑑賞してみてください!