公式の宣伝文句に「あのシャマラン娘が監督デビュー!!」というド直球であけすけな商売根性をみた時に、「超面白そう」と思いました。
傑作ホラー映画で世界中を沸かせてきた父・シャマランの英才教育は娘・イシャナの中で、どうねじ曲がりどう咀嚼されていたのか。
イシャナ・ナイト・シャマラン初監督作「ザ・ウォッチャーズ」を紹介します!
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この記事には映画の結末や重要なネタバレを含む可能性があります。未鑑賞の方はご注意ください。
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公開日 | 2024/6/21 |
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監督 | イシャナ・ナイト・シャマラン |
原作 | A・M・シャイン |
脚本 | イシャナ・ナイト・シャマラン |
キャスト | ダコタ・ファニング オルウェン・フエレ ほか |
音楽 | アベル・コジェニオウスキ |
上映時間 | 1時間42分 |
配給 | ワーナー・ブラザース映画 |
公式サイト | 「ザ・ウォッチャーズ」公式サイト |
上映劇場 | 「ザ・ウォッチャーズ」上映劇場 |
【ザ・ウォッチャーズ】映画のネタバレあらすじ(ラスト・結末まで)
イシャナ・ナイト・シャマラン監督のデビュー作「ザ・ウォッチャーズ」のあらすじをラスト・結末までネタバレありでご紹介していきます。
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起:森
ミナ(ダコタ・ファニング)は、あずかったインコを載せ車を運転しています。
母の命日である今日は、ミナの心に影を落とす日でもありました。
姉からの電話も上の空で、かといって母が死んだ15年前に思いを馳せることもできません。
ぼうっとしながら運転していると、霧の濃い森へと迷い込んでしまったミナ。
インコを連れ車を降り、助けを呼ぼうと一歩踏み出します。
ふと振り返ると、乗ってきたはずの車が消えていました。
「遭難したかも」と思ったミナ、気を紛らわせるためか相棒のインコに“ダーウィン”と名前をつけます
大声で助けを求めるミナの前に、突如白髪をたなびかせた女性の姿が。
女性は「命が大切なら走りなさい」と言い、カウントダウンでミナをまくしたてます。
ミナは混乱しながらも女性の後を追うと、大きな窓のついた小屋に辿り着きました。
承:ウォッチャーズ
小屋にはキアラ(ジョージナ・キャンベル)という女性と、ダニエル(オリバー・フィネガン)という青年がいました。
ミナを小屋へ招いた白髪の女性はマデリン(オルウェン・フエレ)といい、3人は長く小屋に留まっていたようです。
マデリンがリーダーっぽい。年長者でもあります
マデリンは、小屋を“鳥かご”と呼んでいます。
“鳥かご”に本物の鳥をつれてくるなんて…と怪訝な様子の3人
マデリンは“鳥かご”についてのルール説明を始めます。
「窓の外に背を向けてはいけない」
「外の“奴ら”は私たちが自然に生活するさまを見たがっている」
「つねに陽のあたる場所にいること」
「暗くなる前に“鳥かご”に戻ること」
「夜間に決して“鳥かご”の扉を開けてはいけない」
パニックに陥るミナでしたが、とりあえずマデリンの言うルールを聞き入れ、少しずつ“鳥かご”での生活に順応していきます。
そもそも陰鬱な内面を抱えしんどそうだったミナ、若干自暴自棄な感じ
マデリンたちは、“奴ら”をウォッチャーズと呼んでいました。
転:床下の真実
“鳥かご”での生活に終わりが見えず、やきもきしたミナはルールをやぶり、マデリンに「入るな」と言われていた“森の穴”の中へと潜りこみます。
ミナが穴に入った日の夜、ウォッチャーズはひどく興奮した様子でミナたちに襲いかかってきました。
混乱を極める最中、“鳥かご”のなかに、床下へと続く隠し扉を発見するミナたち。
ミナが先頭に立ち、隠し扉の下へと降りていくと、ウォッチャーズは“鳥かご”の入り口を突破してきました。
ギリで隠し扉バタン!ロックガチャ!セーフ!!
地下には、“教授”と呼ばれる初老の人物が残した数々の物品が。
教授が残したビデオ日記には、教授自身によって、“鳥かご”をつくるため見も知らぬ労働者たちを雇い、いけにえとして彼らの命をウォッチャーズに差し出していたことが暴露されていました。
森の入り口には行方不明者の貼り紙がたくさんあったのだけど、教授の被害者だったみたい
また、教授がこの特別な森へ抱いたロマン、ロマンの崩壊、失敗、後悔、泣き言などが細々と記録されています。
ビデオの最後には、ひどく細長い体をした一体のウォッチャーズを地下へ招き入れる教授の姿が。
教授はビデオ内で命を絶ちますが、元いた文明社会へのアクセスの仕方もしっかり残していたのです。
みんな、明日おうちに帰るよ!
結:人間
森を離れる日を目前に、安全な地下室で4人は束の間、心安らぐときを過ごします。
ミナは、母の死は自分のせいであったことを暴露しました。
ダニエルは酒乱の父親に殴られて育ったことを、キアラはこの森で最愛の夫を亡くした胸中を吐露し、傷ついた4人は語り合い絆を深めます。
夜が明け、教授の言う通り道なき道を進むと、森から出るための舟を発見した4人。
ところが、ダニエルだけはウォッチャーズの毒牙にかかり、森の端で首を掻き切られてしまいます。
残された3人は必死でオールをこぎ、通りかかったバスに乗りました。
翌日、教授のかつての職場であった大学へと向かったミナ。
教授の文献は当時のまま残されており、昔人間と共存していたと言われる妖精たちの存在について根掘られています。
かつて妖精は人間とつがいになることもあったほど、近しい存在だったみたい
時が経つにつれ、人間は妖精たちを遠ざけ、見てみぬふりをし、しまいに地中へ埋めて“なかったこと”にしてしまいました。
妖精=“自分自身の痛みや苦しみ”と解釈したよ
妖精…すなわちウォッチャーズは、生活する人間を観察し、形態模写し成り代わろうとします。
ウォッチャーズとは、世間や社会という“枠”にはまることで私たちの内面を奪い取っていく“私たち自身による選択”の顕在化と捉えたよ
後悔や痛み・苦しみを消化/昇華させないままに窓の外…すなわち生活の外側へと自分自身の内面を追いやって生活してきたミナたちは、いつも自分自身の傷に見張られていたのです。
マデリンは、実は教授の妻でした。
マデリンは、教授の「死んだ妻に会いたい」という切ない想いがつくりだしたウォッチャーズだったのです。
ミナは、ウォッチャーズのうちの一体を森から連れ出してしまったのでした。
いわば森とその他の場所とを“繋げて”しまったミナは、ウォッチャーズを文明社会へと招き入れてしまいます。
憎しみあらわにミナに襲いかかるウォッチャーズに、ミナは
「あなたのなかにも人間がいるはず。醜くゆがみ、憎しみ、羨み、モンスターのように変貌する一面があるはず。あなたの半分は人間だ」
と熱弁しました。
完璧に模写できる、というウォッチャーズの特徴を利用したようにも見えたけど、ミナが自分自身を鼓舞する魔法の言葉にも聞こえたよ
ミナの言葉に、“人間としての一面”を自覚、もしくは思い出したウォッチャーズはミナに襲いかかることをやめ、去っていったのです。
…数日後、ミナはウォッチャーズとの対峙を経て、自分が母の死の原因であることを真正面から受け止め、罪を背負って前に進んでいくことを心に決めます。
長らく疎遠になっていた双子の姉に会いにいき、インコのダーウィンとともに笑うまでに回復した様子を見せるミナを横目に、物語は幕を閉じます。
トラウマ克服系ファンタジー!私とっても好きでした
【ザ・ウォッチャーズ】映画のネタバレ解説①:ラスト&原作情報
次に、映画「ザ・ウォッチャーズ」のネタバレになる部分をご紹介します。
ラストや原作小説の情報について触れています。
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「ザ・ウォッチャーズ」4人は森から抜け出せた?ラスト・結末の解説
本編で登場する敵はウォッチャーズと呼ばれる妖精です。
ウォッチャーズと呼んだのも、妖精と呼んだのも人間。“奴ら”もとい彼らは何と呼ばれようとどうだっていいでしょう
彼らは“チェンジリング”をおこない人間界に侵入してきました。
取り替え子。ヨーロッパ民話に登場する妖精、人間の子供をさらった後に置いていく身代わり(妖精の子供)。
引用元:ーWikipedia:チェンジリング
4人のうちダニエルだけは森からの脱出に失敗してしまいましたが、他の3人は命からがら文明社会への復活を果たしました。
しかし、ウォッチャーズは彼らを簡単に逃しません。
マデリンは巧妙に擬態したウォッチャーズであり、秘密を知ったミナに襲いかかります。
完璧に近いかたちでチェンジリングを果たしたマデリンを前に、ミナは対人間として心情に訴える語りかけを重ねました。
ミナのまっすぐな思いはマデリンの内面を、さらにウォッチャーズから人間へと擬態させ、結果ミナは解放され…。
マデリンは大きな翼を広げ気高く美しい“ウォッチャーズと人間のハーフ”として新たな一歩を踏みだします。
チェンジリングを題材にしたホラーといえば、近年ではジョーダン・ピール監督「Us」がありました。もしかすると私もあなたも、いつのまにか入れ替わったウォッチャーズなのかもしれませんね…
「ザ・ウォッチャーズ」監視者の正体は?
前述したように、ウォッチャーズと呼ばれる個体は妖精の類としてひょろ長い手足を漂わせていました。
もちろん、画面に映るものをまっすぐ受け止めてファンタジーとして本作を楽しむのも最高かと思いますが、私は実生活に引き寄せて解釈しようと思います。
「鳥かご」の中の4人は規範に縛られ、つねに鏡ばりの部屋で自己と対峙させられていました。
姿は見えないが自分を監視してくる唯一のもの、そして誰しもに共通するもの、監視者とは“自分自身”です。
鏡や鳥かごの使い方で観客の妄想に拍車をかけるイシャナ監督!
毎日の隙間に潜りこむように、自分を過去や未来へと引きずっていく“自分”という強敵は、自分を生かそうとも殺そうともしてくるやっかいなものだと思います。
ミナと姉を、窓ごしで見守る(またはにらむ)少女によるラストカットは、一瞬たりとも気が抜けない、自分自身との終わらない闘いと捉えました。
幼い私が悲しい目をしてこっちを見てる…と思ったりしますよ私も。自分からは逃げられない!自分が自分を凝視してる!嫌だねぇ
「ザ・ウォッチャーズ」映画に原作はある?
アイルランド出身の作家であるA・M・シャインが書いた同名小説「ザ・ウォッチャーズ」が本作の原作です。
他人同士がせまい空間に閉じ込められ、先の見えない日々を“生活”していくという、閉所恐怖症的な展開が物語の見どころ。
調べてみましたが、購入できるのは今のところ英語版だけだったので、読める方はぜひ“絶望の森”を活字でさまよってみては?
イシャナ監督は、原作小説のもつ幻想的な印象に共鳴し、本作の映画化に取り組んだのだそうです。
ギレルモ・デル・トロ監督「パンズ・ラビリンス」が本作の映画美術に影響を与えているんだって。たしかにデルトロ感あった
【ザ・ウォッチャーズ】映画のネタバレ解説②:賛否両論になってしまった理由
イシャナ・ナイト・シャマラン監督の「ザ・ウォッチャーズ」ですが、日本で公開されてみるとなんと賛否両論…。
その理由について探ってみたいと思います。
①予告編が面白すぎた!?
予告編がイマイチでは集客できませんから、面白すぎるなど最高でしかありません。
予告編は、多くの場合「これでもか」というほど見せ場を解禁し、より多くの人間の気を引くため時に下品なほどの盛り上がりを加えて制作されます。
ある宣伝部さんには「劇場にお客さまを入れるためならば、なんだってやる。予告編は派手加工必須」と教わったこともある筆者
本作の予告編には、ジャンル映画然とした“アイデア一点勝負映画”に見えるようにミスリードが施されていると感じました。
むずかしいことは抜きにして「シャマラン娘の新作ホラーたのしみ!」となるよう、ホラーファンの脊髄に語りかける手法だったのではないでしょうか。
初監督作に、これでもかというほど父親の存在を感じさせて、宣伝文句にも使うあたり、イシャナの馬力計り知れません。
逆にかっこいい
お手軽ホラーをもとめて劇場へと足を運んだファンを待つのは、シャマラン家の伝統芸である“どんでん返し”。
ゴリゴリの精神世界をVFXに落とし込んだバキバキの処女作、爆誕です。
②後半がトンデモ展開すぎ?
トンデモ展開であることは、シャマラニズム(造語)を継承しているであろうイシャナ監督に期待すらしていたことで、いいのです、とんでもないことはすごくいいのです。
ただ、とんでもない方角へ向かうまでの道のりが至極繊細に、真面目に踏み固めてあり父・シャマラン監督「シックス・センス」に感じた、ともすれば地味さ、言い換えればリアリティと似たものを感じました。
父親と比べられてばかりじゃイシャナ監督もげんなりでしょうが、本作は製作としてシャマラン(父)がしっかり入っているので、作品の大枠が似るのは当たり前
ホラーファンタジーでありながら、大真面目なメッセージ性をはらんだ作風であるがゆえに、「えっどうやって観ればいいの」と揺さぶられた観客も多かったのでしょう。
③良くも悪くもシャマラン遺伝子を受け継いでいる
ホラー映画ファンはシャマラン(父)とフレンドリーな距離感を保ってきました。
これからはシャマラン(父)(娘)と続柄を明らかにしないとなのですね…シャマパパでいきます
シャマパパは「当たり外れがある」「どんでん返ししとけばいいと思っている」「絶対に自分をキャスティングする自己顕示欲」と好き勝手に陰口をたたかれてきました。
しかし、このシャマパパとホラーファンとの愛憎入り交じる関係性が功を奏して、「シャマランの娘か、期待はほどほどにしておこう」というハードル降下現象が起こったのです。
そしてイシャナ監督は、「大真面目にホラー映画を撮る」というパパ直伝の真摯なスタイルでファンたちを黙らせました。
後半の畳みかけのためにじっとり、じっくりと描かれる、リアリティラインを保った中盤までの“地味な”展開は、シャマランの名のもとに熟成された神々しいスキルと感じました!
また、シャマラン印の“どんでん返し”についても、パパほど気張らず、しかし観客のカタルシスに寄り添いながら、陰陽でいうところの陽へと傾けて物語を閉じるという見事なバランス感覚。
シャマパパとイシャナは別々の個性を持った作家でありながら、通底した“ホラーへの敬意”を感じる素晴らしい父娘です!
【ザ・ウォッチャーズ】印象に残ったキャスト3選(ネタバレあり)
続いて、「ザ・ウォッチャーズ」で特に印象に残ったキャスト3名をご紹介します。
①ミナ役/ダコタ・ファニング
ダコタちゃんが30歳になっていたとは、自分も歳をとるわけです。
ジェシー・ネルソン監督「アイ・アム・サム」(2001)にて7歳の枠に収まらない天才的な芝居をみせていたダコタ・ファニング。
かつて「人生何周目だよ」と全世界の人々を戦々恐々とさせたダコタですが、ブレることなくいい感じに歳を重ねている雰囲気を感じてうれしくなりました。
筆者は子役出身の俳優が持つ“プロ感”が大好き。自然と染みついたであろう媒体ごとの身のこなし、撮りやすい位置でしっかりアクションを「立てる」仕事人間感。安達祐実も高畑充希も愛してる
もちろんダコタの芝居力は安定のクオリティでありながら、いい感じに老けているのが素晴らしかったです!
過度な“メンテナンス”にたよらないナチュラルなライン、特にあごのたるみやほうれい線といった経年変化に、ダコタ自身の絶対的自信が見えて感動しました。
いくつになってもごっつい俳優魂で我々を楽しませてくれるであろうダコタ・ファニング、圧巻の存在感です。
ダコタがラストカットで笑ってくれたとき、私は泣きました
②ダニエル役/オリバー・フィネガン
全編ほぼ4人の登場人物によって構成される本作ですが、女性たちに囲まれ唯一の男性として“鳥かご”に住んだダニエルの、線の細い人物描写が心に残っています。
演じたのはイギリス出身の、こちらも元子役オリバー・フィネガン。
元子役やっぱりたくましい!
彼のインスタのフォロワー数とかが、なんかこうリアルな「世界広しといえども役者の世界、その厳しさは一定なのですね」という切ない気持ちになりながらも、本作以降に爆売れするでしょう。
精神に弱さを抱えながら、恐怖転じて攻撃性になったり、かと思えば小動物のようにおびえたりと4人の中で最も人間性を感じたダニエル。
若さゆえの軽はずみな面もありつつ、周りの人間に感謝したり、自分の根源と向きあうような真面目な仕草を見せたりと魅力的なキャラクターでした。
“鳥かご”内唯一の男性でありながら、いい意味で色気を感じない一個体として存在していたのもよかったです。
ドン・シーゲル監督「白い肌の異常な夜」みたいな肉肉しいドロドロを期待していた自分も、どこかにいましたが…
③インコのダーウィン
メインキャラクターが4人というミニマムな空間の物語であるため、3選では角が立つ、ということでインコのランクイン!
とは言いながら、作中でのダーウィンの活躍はすさまじかったです。
「シンジャダメ」とミナを励まし続けただけでなく、終盤には教授が示した“舟”のある場所まで先導してくれたりと、愚かな人間たちの面倒をみる立場にありました。
ミナが、内側にこもり自己と対峙するとき、決まって自己蔑視のような黒いものが渦巻いています。
ミナがトラウマに囚われ、過去に未来にと意識をふらつかせているとき、まるでインコのダーウィンのように同じ言葉を反芻していました。
メタファーや暗示としても機能していた、映画的モチーフのダーウィン。「だれかに食べられなくてよかった」と胸を撫で下ろしたのは私だけじゃないはず
【ザ・ウォッチャーズ】印象に残ったシーン・場面3選(ネタバレあり)
次に「ザ・ウォッチャーズ」で印象に残ったシーンをご紹介します。
①数多のルール
「つねに陽の当たる場所にいること」「ウォッチャーズに背を向けてはいけない」「夜間に決してドアを開けてはいけない」…
年長者であるマデリンが定めた多くのルールは、マデリンの監視外で易々とやぶられます。
閉塞感を保ちながら、同じような毎日を繰り返すだけの“鳥かご”での日々は、死と隣り合わせにありながら退屈にループされていました。
ミナ以外の3人があんまり脱出したがってないのが面白かった。画面に映る生活までの、長く長い日々に思いを馳せました
滞っていた3人の“鳥”は、ミナが現れるまで、かごの扉を開けられてもすぐには逃げ出さなかったでしょう。
ルールの下で命だけが守られていることに感謝すらしていた3人に、「人間として生き直したくないのか」と真っ当な疑問を持ち意図的にルールをやぶったミナにより、3人は尊厳を取り戻していきます。
ときにルールの外から世界を眺めてみると、突破口が見えてくるのは世の常!
「このルールはだれが、何のために決めたものなのか?」と絶えず自分自身に問うていくことが、人生において重要であると学びました。
②観察して学ぶ
マデリンが語るウォッチャーズの習性が、“人間そのもの”であることが印象に残りました。
人間への擬態を得意としながら、最初は指の数を間違えたり。AIも指の数を間違えたりするみたいですね!似たようなものの数って覚えづらいのかな
前述したルールにも共通する感想ですが、海外のちょっと危ない都市とかを歩くときに気にすることっぽいというか。
「明るい道を選んで」「夜は出歩かないで」「無防備に扉を開けないで」「危ない人に背を向けないで」…
私ごとですが、つい先日まで海外の危険地域に滞在していたので、今なら即ウォッチャーズの森に順応できそうです
われわれ人間も獣の仲間として、野に放たれれば「観察して、学ぶ」しかない。
精神世界の深淵にふれながら、超基本的な“動物としての生存マニュアル”をも学べる教養映画でもあります。
③ミナの“ごっこ遊び”
予告編でもたっぷり使われている、ミナによる“ごっこ遊び”のギミックが好きでした。
英語弱者なのであれなのですが、予告編の字幕が直訳なのかな?本編の字幕は予告編とはちがい、含みのある“ワルい女感”がナイスでした!
他人に対し気軽に嘘をつけるというのは、ひいては自分のこともコロッと騙せてしまうということ。
身分を偽って他人との関わりを“楽しんで”いるように見えて、「本物の私でいたくない」という強烈な自己否定なのです。
ミナによる酒場での“ごっこ遊び”は、自傷行為にすら見えました
転じて、数多の苦難を越え教授の大学へ行ったとき、ミナの“ごっこ遊び”は擬態のレベルをあげ、物語を進めるためのギミックになります。
得意なことは、得意だからこそ悪事にも使えりゃアイテムにもなり得る
前を向いて生きていためには、自分をまるっと洗浄する必要はなく、自分にしかない傷跡こそ人間の魅力なのだと教えてくれるシーンでした。
【ザ・ウォッチャーズ】を実際に鑑賞した評価・鑑賞(ネタバレあり)
ストーリー展開
ウォッチャーズを異形の存在として、映画における作りものの生物としてまっすぐ受け止めると、わかりやすいですが少々のぺっとします。
ウォッチャーズを各々で概念化して、各々の傷を当てはめてみると、解像度は下がりますが人によれば人生を変える映画になり得るかもしれません。
わかりやすく説明してくれているはずなのに、ファンタジーみが強く難解に感じる、という「だから映画っていいよね」という仕上がりになっていたと感じました。
「まじで意味わかんない」みたいな方も「超ブッ刺さった」みたいな方もいるでしょう。いい映画ですね。
個人的に、映画はわからなくたっていいと思うので、神秘的な映像をぼんやり眺めて癒されたりするでも心地良いと思います。
ホラー映画としての評価
イシャナ監督自身が意識したというギレルモ・デル・トロ監督の作品が好きな方は大好物なのではないでしょうか。
鑑賞後は「怖い」という感覚より「きれい」「すごい」という気持ちが強かった印象です。
観客を怖がらせようというよりは、「元気づけられたらいいな」という思いがこめられていると感じたので、ホラー映画としてはやさしい物語だなと思いました。
イシャナ監督、とてもおだやかな人なんじゃないかな
ミステリーの側面も持ちながら、主人公であるミナの物怖じしないキャラクターによって画面の均衡が保たれていたのも印象的です。
「よくわからないけど、へこたれないぜ」というミナに勇気づけられ、謎多き森を一緒に抜け出すことができました。
個人的に怖がらせるだけがホラーではないと思うので、楽しかったです!
監督デビュー作としての評価
シャマラン家に生まれホラーの英才教育を受けた結果、「やりたいこと」が明確になった状態で、イシャナ氏はメガホンを握った感じがしました。
そして、イシャナ監督の初期衝動を大事に大事に抱きかかえ、「誰にも穢させることなくリリースするのだ」というシャマパパの、涙ぐましい愛が作品全体からダダ漏れています。
デビュー作は生涯一度きり!ブラボー!!全員天才!!
デビュー作を経て小綺麗にまとまっていくのか、てやんでいとブッ飛ばしていくのかはイシャナ監督にしかわかりません。
私たち観客は楽しみに待つのみですな!
再鑑賞
一度ではウォッチャーズの造形美を堪能しきれなかったので、またじっくり“ウォッチ”しにいこうと思います!
【ザ・ウォッチャーズ】映画のネタバレあらすじ:まとめ
他人のテリトリーでの慎ましい振る舞い方と、いざというときの武器の使い方を教えてくれるサバイバル教訓映像の側面もあった映画「ザ・ウォッチャーズ」。
受け手の捉え方によって様々なジャンルへと“擬態”しながら進む物語にアプローズ(拍手)byマデリン!
イシャナ監督のみならず、シャマラン家には一生ホラー映画つくってほしいです!